今朝 久しぶりに思い出した。
もう15年くらい前の事だと思う。
ある女性に 堕ちた修験行者がまとわりついていた。
その 浮ばれていない修験行者の導きでたどり着いたのが、北九州 皿倉山の神社だった。
私は長女とドライブを兼ねて、皿倉山の周遊道路を車で走った。
まずは場所だけでも確認しておこうと。
神社の入り口だと思われる道は、まるでトトロがいそうな、木々の緑がそよぐ細長い道だった。
だが その道を通過しようとした時に、急に結界が張られているような感覚に襲われて、長女も連れて来ているので断念した記憶が今も残っている。
後日に訪れる事にした。
後日に万全を期して、法衣を身につけ 必要かもしれぬ宝具を持参して森の細長い道の入り口に立った。
そうすると「入ってもOK!」とばかりに昨日のような雰囲気はなくスーッと通らせていただいた。
細く長い道を通り抜けると、ちょっとした広場に着いた。
その広場には、本来なら見えるはずのない修験行者が数十人 キチンと整列して 私を迎えてくれた。
「よくぞ来られましたね!」と言わんばかりに
数十人が軽く会釈して下さった。
怨霊でもなく恐怖感もなく、ただ静かに受け入れてくれた。
この山にはかつて多くの修験道場があり、行者たちが日々自然の中で修行していたそうな。
修行中に亡くなった者もいれば、病気で亡くなった者もいた。
ある時代には、道場が焼き払われて その時命を落とした者もいた。
さぞかし恨んでいるかと思いきや、恨むどころか、この権現山を愛し守りたいがゆえに、浄土へ行かない者達だった。
だから、人によっては寄せ付けない雰囲気があり、細く長い道はカンの鋭い人には感じやすいのかもしれない。
正式参拝する為に身を整えて来たので、分かり合えたのだろうか?
不思議に温かい気持ちになり、霊障など一つも感じず 権現堂まで足を運ぶことができた。
権現堂の手前には、やはり修験塚があり そこで鎮魂の為に祈ることにした。
「このまま山を守りたい気持ちはわかりますが、ひとまずあの世に帰りませんか? この国は近未来、近隣諸国の介入により苦難の道程を歩むことになります。一度は浄土にて様々な手続きを終えて生まれ変わり、この国の為に生きてくださいませんか?」
そう伝え、経典を手にした事を思い出した。
線香の香りが、そこらじゅうに風と共に広がっていく。
森の木々がサワサワと揺れた。
何故だか涙が溢れて経典がうまく読めなかった。
「来てくれてありがとう」そんな温もりを感じたからだろう。
権現堂の前には、龍穴があり「八大龍王」が祀られている。
私は彼らのことを龍神様にお願いした。
『八大龍王経』を読誦し中盤に差し掛かった時に、台風かと思うくらいの風が吹いて読み終えた時には、風は止まっていた。
龍神さまは彼らを浄土へ導いて下さった。
龍の背に乗って✨✨✨
以来 皿倉山の『帆柱権現山神社』の神様は
たまに山を見上げると 三羽の鷹が空高く、ぐるぐる巡っているのを見せてくれる。
「今も覚えていてくださっているのね」
たまに山にドライブに行くと、天狗様が道案内してくださる💦
一人でも大丈夫なんですけど!
そろそろもう一度 お伺いしましょうか?