『菊如』から『宝如』へ。
2023年 06月 30日

神によって示される神意に従うという
意味らしい。
神意を受けて従うので、また従順の意となり、「如くす」の意となる。
「如何(いかん)」とは、神意を問うことをいう。
🔸神にはかる 神意をとう。
🔸神意に従う 神意のままにする。
🔸如 ごとし。神意に合うようにする
🔸神意に近づく(至る)
🔸如何とは?神意は何かと問う(?)こと。
そして当時の私は剃髪して、まだ生まれて
間もない一歳にも満たない次女と長女を
両親に預けて高野山大学で学び、高野山内で
修行を重ねようと一人密かに決意して
おりました。
誰もいない師僧の寺の本堂で、
密かな決意を弘法大師に手を合わせ
お伝えする日々。
ある日に『お済度』で大般若経典加持しながら
師僧がバン‼️と背中を祓った瞬間に
「そなたは今回、なぜ女性に生まれ変わって
いろいろな経験をしているのかわかるか!
衆生済度せよ。末端の苦しみ知らずして
救えずして『僧侶』とは言えぬ。
得度してから即!末端の苦しみ悲しみを
知り、自分の経験を通して済度せよ!
高野へあがる必要はない!
そなたに必要な人はすでに道の半ばで出会う
『必然の計りごと』が段取りしてある
迷うな!怯むな!逆らうな!
淡々と歩め‼️
一年後、師僧は他界してしまいます。
「えー😱これから私はどうしたらいいの?」
師僧が他界して三年後、3回忌の時、
亡き師僧からメッセージが届きました。
私が40歳の時でした。
小学校5年生の時、中秋の名月の美しい
月の光の中、夜9時頃に小高い山の寺院で
「この子は40歳過ぎ、尼僧として人生が変わる」
と言われていた事を思い出しました。
37歳で出家得度して後に師僧が亡くなり、
師僧の3回忌を境に不思議なことが続々と
起こり始めるのです。
宝の如(巫女)とは言われましたが
まだまだ程遠い(😅)
人間性もまだまだ磨きが足りませぬ。
磨きが足りませぬ故に様々な事が
あります『多難』。
有り難いって『難が有る』って書くのよね。
経験させて頂き、学ばせて頂き、気づかせ頂き
きっとたくさんの『ありがとうございます』
になるのでしょう。
誰が悪いではなく、観るのは自分。
なのでしょうね。
この数ヶ月『感情の精査』しまくりでした😆
六月の大祓い。
マイ禊ぎ‼️
頂きました『宝如』の名前に少しずつでも
近づけますように🙏 拝。