生かされてきたのだ。
2026年 01月 30日
『可愛い子ども時代』と呼べる写真は、
写真を撮る余裕も、
笑顔を作れる体調も、
そこにはありませんでした。
両親も心を痛めてきたはず。
「それでも、私は生きていました。」
二十代後半になる頃、
重症だったアトピー性皮膚炎は、
少しずつ落ち着いてきました。
完全に治ったわけではありません。
けれど、
息ができる時間が増え、
前を見る余裕が、わずかに生まれました。
やがて私は、
シングルマザーとして
三人の子どもを育てることになります。
生活は、
きれいごとでは回りません。
守れるものと、守れないものを、
毎月、突きつけられる日々でした。
水道だけは止められない。
それだけは、死守しました。
電気代とガス代は、
どうしても両方は払えず、
一時的に、二つとも止まったことがあります。
幸いだったのは、
それが春から初夏にかけてだったこと。
寒さに命を脅かされることはなく、
なんとか、生きていました。
ガソリンを入れるために、
百円玉を三枚だけ持って
スタンドに向かったこともあります。
家賃も三か月滞納し、
大家さんを困らせたこともありました。
そんな中で、
父親が時々、
スーパーの帰りに立ち寄り、
食料を買ってきてくれていました。
多くを語らず、
袋を置いて帰っていく。
あの背中に、
どれほど助けられたかわかりません。
バッグや、
身につけていたジュエリーを
買い取ってもらい、
米を買ったこともあります。
誇れる話ではないかもしれません。
けれどあの時の私は、
生きるために必要な選択を
ただ重ねていました。
それでも‥
子どもたちは生きていた。
私も、生きていた。
小学校5年生の時 秋の夜長、満月の日 寺院の僧侶から、「この娘は尼になり40歳で人生が変わる✨」と言われる。Instagram⇨@anjuan.hounyo1313
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